2014年6月14日土曜日

さまざまな仲介をする《形象意識》

■形象意識

魂界での基本的な諸力は《共感》《反感》です。同様に、霊界での重要な視点は《意識状態》である、とシュタイナーは言っています。
私たちの通常の意識状態は《対象物意識》(覚醒意識)です。目覚めた状態で対象物を明確に知覚する意識です。これよりも鈍い意識に《形象意識》(夢意識)や《熟睡意識》などがあります。修行によって得られる高次の意識を除くと、以下の4つがあります。

  • 対象物意識(覚醒意識):思考:人間
  • 形象意識(夢的意識):感情:動物
  • 熟睡的意識:意志(代謝):植物
  • 熟睡よりさらに深い無意識:鉱物

これらはもちろん《目覚め度》の違いとして区別されますが、その他にも、周囲との(物質的)かかわりの深さも違っています。単純に言ってしまえば、「意識が目覚めているほど、周囲から物質的影響は受けない」という法則が成り立ちます。この点を理解していないと、たとえば『一般人間学』の第6講は読解不能です。ここでは、これらについて、例を挙げてまとめておきます。

対象物意識とは、私たちが普通の外界を知覚する場合に相当し、対象を明確に捉えますが、その対象から物質的影響を受けることはありません。いわば、「絵に描いた餅は明確に意識できても腹の足しにはならない」状態です。それに対し、熟睡的意識とは、たとえば私たちの消化活動で行なわれていることに相当します。消化管に入った食物のうち、今、餅が消化されているのか、海苔が消化されているのか、など意識されることはありません。このように、身体で起きている物質的活動は全く意識できませんが、物質的影響は非常に強く受け、実際、食べたもののエネルギーで活動ができます。「餅と海苔の消化の違いは意識できない」と表現できます。

■形象意識の例

その中間にあるのが《形象意識》で、これは夢の状態に相当します。

冷たいミルクを飲んで寝たときの夢
冷たいミルクを飲んで寝たときのことでした。そこで見た夢は、図のような感じで、落ちこぼれそうな物を一生懸命に抑えている夢です。これは、私の大腸から直腸にかけて起きている出来事を確実に反映していました。つまり、物質的にリアルな出来事が《形象》(像)として象徴的に表現されているのです。そして、身体的に同じ状態になったとしても、同じ夢を見るとは限りません。別な《形象》(像)である可能性もあります。それでも、その像は身体でのリアルな出来事を反映したものになるはずです。この状態をシュタイナーは《形象意識》と名付けました。

この夢の例では、身体の状態が《形象》に反映されていますが、重要なのは、この逆もあり得る、という点です。つまり、人がどのような形象を作り上げるかによって、身体形成に影響が生まれるのです。もちろん現代人では、こうした影響はすぐに意識出来るほどには強くはありませんが、子どもでは影響が顕著に見られる場合もあります。また、『神秘学概論』の中では、人類がまだ現在ほど固まっていなかった時代には、その人間が持つ形象がそのまま身体的な姿として現れた、とシュタイナーは言っています。あるいは、高次存在が人間に形象を与え、人間はそれに沿って身体を形成することもありました。

■現代人の勝手な形象は身体にも作用している

現代人ではこうした影響は少ないとは言え、皆無ではありません。年月の間に、内面の様子が姿形となって現れる場合があるのです。『一般人間学』第9講では、「舞踏会の婦人の区別がつかない」とか「工場から出てきた労働者が区別がつかない」といった例が出てきます。
現代人は、自由の名の下にどのような形象でも、自由に作り出しています。しかし、その代償は払っています。つまり、乱れた形象が身体に作用し、身体活動に乱れを生じさせているのです。もし人間が、霊的・宇宙的秩序にしたがった形象だけを紡ぎ出すとしたら、人間の身体活動に乱れを生じさせる要因はなくなりますし、それどころか、身体を益々強くしていく働きが生まれます。
「あなたは眠らないのですか」という問いに対しシュタイナーは「眠りません。一日に一時間ほど、何も考えない時間をとります」と答えたそうです(噂)。

■オーラも高次の形象意識で見ている

『神智学』にはオーラについての記述があります。

第二のオーラも非常に多様な色調を示す。誇りや野心といった強く発達した自我感情は、茶色かオレンジ色のかたちになって現れる。好奇心は赤黄の斑紋として現れる。明るい黄色は明晰な思考や知性を示し、生命や世界に対する理解は緑で示される。飲み込みの早い子どもは、オーラのこの部分に多くの緑を持っている。すぐれた記憶力は、このオーラで《緑黄》として現れる。バラ色は好意的で愛に満ちた叡智を示し、青は敬虔さの印である。敬虔さが宗教的な熱意に近づくと、青が紫に移行していく。高度な理解力を持ちあわせた理想主義や誠実な生き方は藍色に見える。

これは人間の魂の状態を、そのままの状態で知覚するのではなく、色という《形象》で見ています。ただ、その《形象》が夢の場合ではゆらぎが大きいのに対し、オーラでは形象から相手の状態が正確に分かる点が違っています。

■神秘修行は、《現実》と《形象》の関係を密にする練習

『いかにしてより高次世界の認識を獲得するか』には、たとえば「これから成長しゆくものと、これから衰えていくものとを観察し、そこに現れる感情の違いに注目する」という修行が紹介されています。これも、方向としては、「実際に起きている現象と、そこから自ずと生じる感情(像)とを結びつける」修行と言えるのです。
これを進めますと、凡人が見る身体状態の形象ではなく、高次の出来事の形象をも見るようになるのです。

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