2014年12月1日月曜日

『一般人間学』、第12講、シュツットガルト、1919年9月3日


目次

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■課題:世界の中における人間身体の割り振り(01~02)

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▲課題:世界の中における人間身体の割り振り(01~02)


12-01
人間の肉体は周囲の物質界と絶えず相互に関係していますし、それによって支えられているのですから、肉体について考えるに当たっては、常に外界との関係で考える必要があります。 周囲の物質界を見ますと、そこには鉱物、植物、動物が見られます。 肉体は、鉱物や植物や動物と類縁です。 しかし、表面的に観察するだけでは特別な意味での類縁関係はわかりません。なぜなら、周囲の物質界と人間との相互作用を知ろうとするなら、自然界の本質により深く入り込んでいく必要があるからです。
12-02
肉体としての人間を見ますと、まず固い骨格や筋肉が目に入ります。 さらに内部には血液循環やそれに付随する諸器官が見られます。 呼吸があり、さらには、栄養摂取過程があります。 また生物学で言う脈管系組織があります。 さらには、脳、神経系および感覚諸器官があります。 ここで行おうとしているのは、人体内のさまざまな器官やそれらの諸過程と、外界との対応関係を見ていくことです。

■頭部器官とそれの動物界との関係、アストラル体(03~06)

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▲進化における人間の位置(03)


12-03
まず、人間において完成度が最も高いと言われているもの…現実にそれがどうかはすでに見ました…つまり脳・神経系とそれに付随する感覚器官から見ていこうと思います。 これは人間器官の中で最も長い進化期間を経ていて、動物界の進化段階よりもはるか先に進んでいます。 人間の頭部系は、いわば動物界を通り抜け、本来の意味で人間的システムにまでなっていますし、またそれが最もはっきりと現れています。

▲頭部の形態形成的な役割(04)


12-04
さて昨日は、個人としての人間の成長に、頭部形成がどの程度関与しているのか、また、肉体形態形成に頭部由来の諸力がどれくらい関与しているか、をお話ししました。 さらには、七歳前後の交歯期のはじまりをもって、頭部の作用がいわば終わることも見ました。 頭部と、胸部や四肢の諸器官との相互作用によって、何が生じるのかを、明確にしておいた方がよいでしょう。 胸胴部や四肢組織と関係しながら活動するとき、頭部はいったい何を行っているのか、という問いに答えられることが望ましいでしょう。 頭部は、絶えずフォルムや形態を形成します。 私たちの生が成り立つのは、生後七年間は肉体フォルムにまでいたる非常に強い形態形成作用が頭部から注ぎ込まれ、その後はその頭部の形態形成作用が形態を保持し、形態に魂を与え、形態に霊を与え続けているからです。

▲形成と超感覚的な動物形態の克服(05)


12-05
頭部は人間の形態形成と関係しています。 それはそうなのですが…、頭部は本来の人間形態を形づくるのでしょうか? そうではないのです。 こう言われて、うろたえてはいけません。実は頭部は、秘かに、絶えず皆さんを別な姿に変えようとしています。 ですので、頭部が皆さんを狼の姿にしようとしている瞬間もあります。 頭部が皆さんを羊の姿にしようとするときもあり、さらには、ミミズにしようとし、龍にしようとすることもあります。 頭部はあらゆる姿を画策しますが、その姿は自然界に広く見られるさまざまな動物形態に当たります。 動物界を見ながら、「私自身はまさにこの動物界で、たとえば頭部から狼の姿が生じても、ありがたいことに胸部や四肢の組織がそれを人間形姿に変えてくれる」と、言えるのです。 皆さんは内側で、絶えず動物的なものを克服しています。 皆さんは絶えずそれに打ち勝っていますが、その動物的姿が完全に現われないようにし、メタモルフォーゼさせ変形させているのです。 人間は頭部系を介して周囲の動物とある関係を持ちますが、しかし肉体形成に当たってはこの動物的環境から絶えず抜け出ています。 それでは、皆さんの内には何が残るでしょうか? まず、ある人をよく観ます。 そして、人間を思い描きます。 ここで興味深い観察を行い、こう言うことができます。 「ここに人間が居る。 上には頭がある。 ここでは本来狼がうごめいているが、しかし狼にはならない。胸部と四肢がその狼を解消する。 頭では羊がうごめいているが、それは胴と四肢とによって解消される」と。

▲対動物界としての思考(06)


12-06
超感覚的には、こうした動物の諸フォルムが絶えず人間内で動き、解消されているのです。 もし超感覚的写真があったとして、このプロセスを連続フィルムに収めたらどうなるでしょうか? その写真には何が写るでしょうか? そこには人間の考えが見えるはずです。 この人間の考えとは、あるものの超感覚的な対応物ですが、そのあるものは感覚界には現れて来ません。 この動物メタモルフォーゼは絶えず頭部から下へ流れていますが、これは感覚界には現れず、超感覚的に思考過程として人間内で作用しています。 それでも、超感覚的な現実プロセスとしては紛れもない実在です。 頭部は肩の上の怠け者であるだけではなく、皆さんを動物領域に留めたがっているのです。 頭部は皆さんに動物界のすべてのフォルムを与え、絶えず動物界を生み出そうとしています。 しかし、皆さんの中から動物界が生涯生じ続けることがないよう、胴部や四肢が動物界を考えへと変容させているのです。 これが私たちと動物界との関係です。 超感覚的には、私たちはこの動物界を内に生じさせますが、これを感覚的現実にはさせず、超感覚的世界に戻します。 胴部や四肢は、この生じてくる諸動物を自分の領域へは入れません。 頭部の動物形成の傾向が強すぎますと、他の器官は受け入れを拒否します。 すると、頭部自身がそれを解消しようとし、それによって偏頭痛などが生じます。

■胴体系およびそれと植物界の関係。エーテル体(07~11)

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▲人間の呼吸と植物の同化作用(07~08)


12-07
胴部系も周囲世界と関係しています。 しかし動物界とではなく、植物界全体と関係しています。 人間の胴部系、胸部系は植物界と不思議な関係にあります。 胴・胸部系では、主に血液循環、呼吸、栄養摂取が行われています。 これらのプロセスすべてには、外的植物界で生じる事柄と非常に特殊な相互関係があります。
12-08
まず呼吸を取り上げましょう。 呼吸の際、人はいったい何をしているでしょうか? ご承知のように、酸素を吸収し、これを生命活動によって炭素と結びつけ、炭酸に変化させています。 生体内の炭素は、元を正せば変容した栄養物です。 この炭素が酸素を取り込みます。 酸素が炭素と結びつくことで炭酸が生じます。 人間がこの炭酸を体内に保ち、外に逃がさないとするなら、素晴らしいチャンスがある、と言えるでしょう。 もし人間が酸素から炭素を再度分離できるとするなら、いったいどうなるでしょうか? まず、生命過程において人間が酸素を吸い込み、体内で炭素と結合させて炭酸を作り、さらにもし、体内で酸素を再度分離、排出し、同時に炭素を体内で加工できるとしますと、人体内には何が生じるでしょうか? 植物界が生じます。 人体内に突如としてすべての植物界が繁茂してきます。 それらが生えてくるのです。 植物をご覧になると、植物は何をしているでしょうか? 人間は酸素を規則正しく吸い込みますが、植物はそうはせず、炭酸を同化しています。 日中の植物は炭酸を求め、酸素を排出しています。 植物がそうしていなかったなら大変です。 私たちや動物に必要な酸素がなくなってしまいます。 しかし植物は炭素をため込みます。 そこから植物は糖とデンプン、さらには植物体内にあるすべてを作ります。植物はこれで植物体全体を作り上げています。 植物界は、光合成を介して炭酸から炭素を分離し、その炭素で自分自身を作ることでそのすべてが成り立っています。 皆さんが見ている植物界とは炭素がメタモルフォーゼしたものであり、その炭素は人間の呼吸に対応する光合成によって作り出されています。 植物に何某かの呼吸はありますが、これは人間の呼吸とは違います。 単に外的に観察するなら、植物も呼吸する、と言うでしょう。 実際夜間には、植物も若干呼吸をします。これは、「このカミソリもナイフなのだから、これで肉を切ろう」というのと同じです。 …しかし、呼吸プロセスは、植物の場合と人間や動物の場合とで違います。これはカミソリとテーブルナイフが違っているのと同じです。 植物において、人間の呼吸に相当するのは、それとは逆の光合成なのです。

▲植物的プロセスの克服。反植物的なものの領域(09~10)


12-09
これまでのことから、次の話も理解いただけるはずです。炭酸を発生させるプロセスをさらに先まで継続させますと、つまり、そのための素材は皆さんの内にもあるのですが、外の自然界で行われているのと同じように、再び酸素が離れ炭酸から炭素に変化させられますと、体内にあらゆる植物が繁茂することになります。 突如、皆さんが植物界として繁茂するようになるはずです。 皆さんは消滅し、植物界が生じます。 人間には絶えず植物界を生成する能力が備わっていますが、ただそうさせないでいるのです。 人間の胴部は常に植物界を生み出そうとする傾向を持っています。 頭部と四肢とがそれに対抗し、そうさせないようにしているのです。 このように人間は炭酸を体外に排出し、体内に植物界を生じさせないのです。 人間は外界に、炭酸から植物界を生じさせています。
12-10
これは胸部・胴部系と外的物質界との奇妙な相互関係です。つまり、一方で外界は植物で覆われ、もう一方で人間は、体内で植物的プロセスを生じさせないよう、それが生じ始めたら直ちに外界に送り出すことで植物にならないようにしているのです。 つまり、人間の胸・胴部系は植物界の対極界を作り出しえる、と言えるでしょう。 植物界をポジティヴ側と考えるなら、人間は植物界のネガティヴ側を作り出しています。 言わば裏返った植物界を生み出しています。

▲胴体系から発する疾病的傾向(11)


12-11
さて、体内で生じる植物界を芽のうちに摘みとり、排除する役割の頭部や四肢の力が弱く、体内の植物界が勝手な振舞いを始めたらどうなるでしょうか? 病気になるのです! 原則としては、胸・胴部系に由来する内臓疾患は、内に生じる植物性を直ちに抑えることができないことに原因があります。 植物界へ向うものがわずかでも体内に生じた瞬間、植物界を生じさせるものを内部から直ちに排除し、それを体外に作らせるよう導く力が失われた瞬間、私たちは病気になります。 罹病化の本質は、人間内で植物が生育し始めることにあるのです。 たとえばユリにとって人間の体内は良好な生育環境ではありませんから、もちろん皆さんが植物になることはありません。 しかし、他の諸システムが弱まりますと、体内に植物が生育する傾向が生じますし、そうなると人間は病気になります。 ですから周囲の植物界の全体を見ると、こう言えるはずです。 ある意味では、周囲の植物界には病気の似姿がある、と。 これは人間と自然界の関係に見られる注目すべき神秘です。 別な時間に申し上げましたように、植物界には思春期までの成長の似姿が見られました。しかし、それだけではなく、外界の植物には結実への素地がありますから、それは人間の罹病化プロセスの像なのです。 こんな話は、あまり聞きたくないかもしれません。人間は美的な意味で植物を愛していますし、植物界がその本性を人間外で展開するならば、その美しさを正当と思うからです。 ところが植物界が人体内でその本性を展開しようとする瞬間、つまり人体内に植生が繁茂し始めるその瞬間、外界の色美しい植物界の中で作用するものが体内の病気の原因として作用するのです。 個々の病気を何らかの植物界のフォルムと対応させることができたら、医学は一つの学問となりうるでしょう。 人間は自分自身の存続のために、炭酸を吐き出すことで、内部に生じようとする全植物界を絶えず吐き出しているのです。 それゆえ、植物が通常の植物状態を越えて毒を作り出す場合、この毒は人間の健康プロセスや病気プロセスと関連している、と聞いても不思議には思われないでしょう。 しかもこれは、通常の栄養摂取過程にも関連しています。

■胴体系:燃焼プロセスと栄養(12~15)

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▲人間内の燃焼プロセス:自然プロセスの中間部分(12)


12-12
栄養摂取は呼吸過程と同様に胸・胴部系で行われています。少なくともその発端は胸・胴部系で行われます。ですから、これも呼吸と同様に考えなくてはなりません。 栄養摂取の場合も、素材は外界から取り込まれますが、そのままにはとどまらず、変容させられます。 その変容の際には、呼吸から得た酸素も助けになります。 栄養摂取で取り込まれた素材は変容され、酸素と結合します。 これは表面的には燃焼過程に似ていて、あたかも人間内部に絶えず火が燃えているかのようです。 通常の自然科学でも、「人間内では燃焼過程が生じている」といろいろな意味で言っています。 しかし、これは正確ではありません。 人間内の燃焼過程は真の燃焼過程ではなく…ここが肝心ですが…始めと終わりとを欠いた燃焼です。 燃焼過程の中間部だけで、始めと終わりが無いのです。 人間生体内では、燃焼過程の始めと終わりは決して生じてはならず、その中間部分のみが生じてよいのです。 果実の成熟過程には燃焼過程がありますが、その最初期部分が体内で生じてしまいますと、人間にとって破壊的です。こうしたことは、たとえば熟れていない果実を食べたときに起こりえます。 この燃焼に似た過程の初期部分を人間は耐えられません。 人間内ではこれは不可能で、病気の元になります。 農家の壮健な人たちのように、周囲の自然界と非常に近い状態にある人はたくさんの未熟な果実を食べることができます。太陽によって十分に熟した果物と同じように、未熟なリンゴや梨でも体内で消化できるのです。 つまり人間は、燃焼過程の中間部にしか参与できません。 燃焼過程全体のうち、人間が栄養摂取過程において行えるのは中間部だけなのです。 この過程が最後まで行ってしまいますと、ちょうど外界の果物が熟れていくのと同様に、腐敗に向かいます。 この最終部分にも人間は参与してはいけません。そこに至る以前に摂取栄養物を排出しなくてはなりません。 つまり、周囲で行われている自然過程を、人間は実際には完全に行っているのではなく、その中間部分だけを行っています。最初と最後は、体内で行うことはできないのです。

▲自然プロセスの中間部に呼吸によって魂を与える:魂と体の結合(13)


12-13
ここで非常に奇妙なことが分かります。 呼吸を考えてみましょう。 呼吸とは、外の植物界で行われていることの反対の作用です。 いうなれば反植物界です。 人間の呼吸とは反植物界で、これが体内で、外界の中間部分である栄養摂取過程と結びついています。 このように身体の胸胴部系には二種類の営みがあります。つまり、呼吸を介して行なわれる反植物過程と、外界の諸自然プロセスの中間部分とが常に一緒に働いています。 この働きは相互に入り混じっています。 ここには魂と体の関連が見られます。 ここに魂と体の隠されたつながりがあるのです。 呼吸プロセスが別な自然プロセスと結びつきますが、後者は人間内ではその中間部分だけが行われています。そして、反植物プロセスである魂的なものと、常に自然プロセスの中間部分であり続ける、人間の体的なものとが結びつくのです。 魂化した呼吸と体化した自然プロセス中間部との隠れた関係を考慮しなければ、学問はいつまでたっても、魂と体の関係は分からず終いでしょう。 この自然プロセスは、人間内では発生もせず、終結もしません。 それは人間外で発生し、排泄後に終わります。 この自然プロセスの中間部分にだけ人間は体的に結合し、そこに呼吸作用で魂を吹き込むのです。

▲未来の医学をスケッチ(14~15)


12-14
こうして諸過程が精緻に織りなされたものができますが、これこそが将来の医学や衛生学が研究すべき事柄なのです。 未来の衛生学は、「宇宙空間という外界において、温度の様々な段階がどのように相互作用し合っているだろうか」と問わなくてはなりません。 冷所から暖所に、あるいはその逆に熱が移動するとき、熱はどのような作用を及ぼすのでしょうか? 外界で働く熱過程の中に人間生体を置いたら、その外的熱過程は生体内でどのように作用するのでしょうか? …《風》と《水》の共同作用は、外界では植物的過程に見られます。 その《風》と《水》の共同作用の中に人間を置いたら、どのような作用があるか、等々を研究する必要があるのです。
12-15
今日の医学研究は、こうした事柄にまだ何も取りかかっていません。 今日の医学は、何らかの病状に対し、その病原バクテリアを見つけることに重きを置いています。 そして、それを発見すれば満足しています。 しかし、僅かながらでも、人生のある瞬間に、細菌類が心地よく住める植物的過程を生じさせてしまうのはどうしてなのでしょうか。本来は、それを認識する方がはるかに重要です。 バクテリアなど、植物性のものの住み心地が悪い身体的状態を保つことが大切なのです。それができれば、バクテリア類が私たちにひどい害を与えることはなくなるはずです。

■骨格・筋肉系と鉱物界との関係。自我機構(16~21)

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▲私たちの身体の機械部分(16~18)


12-16
さて、問いがもう一つ残っています。 人間を、外界との関係で体的に観た場合、生命プロセス全体と骨格・筋肉系の関係はどのようなものでしょうか。
12-17
これは人間理解のためには必須の問いですが、ご覧の通り、現代科学はこの問題を完全に素通りしています。 腕を曲げると何が起こるのかを観察してみてください。 前腕屈曲の筋肉を収縮させていますし、これは完全に機械的です。 初めは第一図のような位置関係にあると思ってください(初めの図)。




12-18
ここにベルトを渡し(c)、それを巻き取ります。するとこの棒がこうした動きをするでしょう(第二図)。 これは完全に機械のような運動です。 膝を曲げたり、歩いたりする時には、これと同様な機械的運動を行っています。 歩行とは完全に身体の機械的な作用で、そこでは絶えずいろいろな力が働いています。 主にテコの力ですが、いずれにせよいろいろな力が働いています。 巧妙な写真技術があって、歩行する人間の姿は全く写らず、その際に使われる諸力だけが写る写真があると考えてみてください。 脚を持ち上げ、降ろし、さらにもう一方の脚が動き続ける際の諸力が写るのです。 人間は全く写らず、諸力だけが写ります。 この写真を現像してこれらの諸力を見ますと、まず影が写っていて、歩行時の写真でしたら影が帯になっているでしょう。 さて、自我は筋肉の中で生きている、と考えるなら、それは大間違いです。 目覚めているときであっても、自我は筋肉の中には生きていません。 そうではなく、主にこの写真に写った影、つまり皆さんが動くときに使った諸力の中に生きているのです。 椅子に座っていますと、背中で背もたれを押しています。そして、グロテスクに聞こえるかもしれませんが、これを押す際の力の中に、皆さんの自我は生きているのです。 立ち上がるときには、両足で大地を押す力の中に生きているのです。 自我は常に力の中に生きているのです。 自我がこの目に見える肉体の中に生きている、というのは正しくありません。 自我は諸力の中に生きています。 目に見える肉体は、死までの地上生の間、ただ運び、引きずっているだけなのです。 覚醒時であっても、私たちの自我は力体の中だけに生きているのです。 さて、この力体は何をしているのでしょうか? これは絶えず特別な役割を果たしています。

▲四肢系の力による結晶形成と抑制(19)


12-19
栄養摂取に伴って、皆さんはさまざまなミネラル素材も摂取しています。 薄味のスープでも、…料理には塩気がありますから…ミネラル素材を取り込んでいます。 ミネラル素材を欲する場合もあります。 それでは、こうしたミネラル素材はどのように作用するのでしょうか? 頭部系は、ミネラル素材とあまりかかわることはできません。 また、胸・胴部系もあまり関係がありません。 しかし、四肢系は関係しています。四肢系が、このミネラル素材がその固有の結晶フォルムになるのを防いでいるのです。 四肢系が展開する諸力がなかったら、食塩摂取によって皆さんは立方体の結晶になってしまうでしょう。 四肢系、つまり骨格や筋肉組織は、地的な鉱物形成に対抗する、つまりミネラルを解消する傾向を持っています。 つまり、人体内でミネラルを解消する諸力は四肢系から来ています。

▲糖尿病と痛風:体内の病的な結晶化(20)


12-20
病的プロセスが植物的なものを越え、ミネラル的な結晶化プロセスまでをも体内に発生させる傾向が生じますと、さらに重篤で破壊的な病気になります。たとえば、糖尿病です。 鉱物的なものは、宇宙から受け取った四肢の力を用いて絶えず分解されるべきなのですが、その力が弱いと人体はそれを分解できなくなります。 人体内に病的な鉱物化が起こることで生じる病態、まさにそうした病態を、現代では克服できずにいるわけですが、その理由は、こうした病態に対する対抗手段を十分に使えていないからです。そして、この対抗手段は、感覚器官、脳、神経などから抽出できます。 痛風や糖尿病などの病気を克服するためには、感覚器官、脳、神経中に存在する仮像物質(かしょう)…私はある根拠をもってこれを仮像物質と呼ぶのですが…、この崩壊的物質をなんらかのかたちで処方しなければなりません。 今日の私の視点から、人間と自然との関係をきちんと洞察するなら、この分野でも、人類を本当に治療できるようになるでしょう。

▲まとめ(21)


12-21
人間における諸過程をまず知っていなければ、人間身体を説明することはできません。そして、その諸プロセスが体内の鉱物的なものを溶解し、植物界を押し返し、動物界を霊化し、自分自身をさらに上に導いているはずなのです。 教師は、身体の発達について知っているべきですが、それらすべての基盤にはこうしたアントロポゾフィー的人間学的観察があるのです。 これを土台に教育的なものをさらに積み上げるにはどうするか、それはまた明日、お話しいたしましょう。

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