2015年2月1日日曜日

『一般人間学』レーバー要約、第14講、解説

元シュツットガルト・シュタイナー教員養成ゼミナール長、シュテファン・レーバー先生による要約

■ 人間の身体形態の三層構造(1~9)

▲身体の二つの形成原則(1)

人間の魂は三層構造であるが、身体の外観も三層に見える。これは主に、表象と意志が対極であるのと同じく、頭部と四肢での形成力が対極的であることから来ている。頭部では内から外に向けての力、四肢では外から内に向けての力である。(胸部・胴部形成はその両者の中間をなしている)。

▲頭部系(2~4)

頭部は動物段階を一通り通り抜け、それを超えた存在であり、人間の全体を表現している。鼻関係は、-形は矮小化してはいるものの-胸部を代表し、肺のメタモルフォーゼである。また顎を含む口の領域は代謝や四肢と関連している。

▲四肢系(5~6)

四肢の外形は、基本的に顎部分の変形である。腕や手は上顎、脚や足は下顎に相当する。このように四肢を顎と見た場合、物を《噛む》場所は、上腕部や大腿部の身体付着部分である。それに付随する頭部は、巨大で不可視で《外側のどこか》にある。その巨大な人間は、人間に口を向け、-死によって完全に消耗するまで-絶えず人間を消耗させている。この霊的な頭部は、人間を食い尽くすために、その極わずかな一部だけが物質的なのである。

▲霊への献身の犠牲(6)

《私たちの生体は、差し込まれた口である霊性に絶えず吸い込まれている》。このような霊に対する献身・供犠が、四肢と他の身体部分との関係に表れているのである。

▲胸部における上方への形成的傾向(7)

胸部では頭部的本性と四肢的本性が混ざり合っている。胸部は上に向かうにしたがって頭部になろうとする傾向を持ち、下に向かっては四肢になろうとする傾向を持つ。胸部は上に向かって頭部の写しとなるものを作り出している。それは咽頭で、言葉の中には頭部的な要素が生きている。言語は、空気中に頭部の欠片を作り出す誘惑から始まり、それが波として伝わり、身体的形となった頭部でせき止められることで生じている。

▲言語の骨格系としての文法(8)

交歯の前後で頭部が身体として完成する。そうしたら、言語を一種の魂的骨格として理解する方向に、授業を進めることができる。具体的には、文法的要素を育てる。《言語に由来し、読み書きに働きかける要素》である。

▲胸部における下方への形成的傾向(9)

胸部において下方へは、密になり、物質化した四肢的本性が組織されている。これが男女の性の根本である。この四肢的本性に由来する力が完全に現れるのは性的成熟期になってからであるが、小学校高学年頃には、魂的営みの中に入り込んでいる。

■ 教師のための三つの《定言的命令》(10~19)

▲授業の中で子どもたちのファンタジーを刺激すること(10~12)

12歳から15歳にかけては、とりわけ内的な温かさや魂的な愛に満たされた活動が現れてくる。それがファンタジーである。この世代を教えるに当たっては、生徒のファンタジーをかき立て、その後に生まれてくる判断力の下地として浸透するように、すべての教材を準備しなくてはならない。歴史、地理、物理といった科目がこれに該当するが、-シュタイナーはレンズ、眼、暗室を結びつけることを例に出している-代数や幾何にも当てはまる。ピタゴラスの定理を教えるにあたっても、単に悟性に働きかけるだけでなく、ファンタジーに訴えることもできる。

▲《おまえのファンタジーを生き生きと保て》(13~15)

教師と生徒との関係が《合っている》と、生徒の中に実際にファンタジーが生まれ、それを育てることができる。そのためには、教師自身が教材をファンタジー豊かに作り上げる必要がある。教師は教材を《感情を伴った意志》で完全に満たし、それも常に新しく満たす必要がある。なぜなら、新鮮なものがあって初めてファンタジーは生き生きと保たれるからである。単なる繰り返しは、作り上げられたものであっても、悟性的なものとして凍り付いていく。 教師は決してぼけてはならず、教条主義に陥ってもいけない。したがって教師のための第一の《定言的命令》は、「おまえのファンタジーを生き生きと保て」である。-これは、授業の内的なモラルを言っている。

▲内的な熱(16~17)

-これまでの講義内容-基礎的な人間認識があってはじめて、教育的モラルを内的な熱で満たす内的な力が作り出される。

▲《真実への勇気! 魂的な責任感!》(18~19)

内的な熱やファンタジーといったものは知的詰め込みや、怠慢へ向かう傾向の正反対である。物質主義的思考はこの傾向を助長する。それに対し、主知的なものが霊から得られた考えによって《味付け》られると、ファンタジーという道筋を経て、そこに翼が生えるのである。 十九世紀中盤に、授業、および人間の認識活動からファンタジーを徹底的に排除する傾向が起こった。(教育の中に生き生きとした精神を持ち込んでいた最後の人物がシェリングである。)その根底には、ファンタジーは非真実に堕する、という恐怖である。しかしそこには、自由に自立的に考える勇気が欠けている。したがって教師のための第二の《定言的命令》は「真理に向かっての勇気を持て!」である。-それは、個々人に対し、真理に対しての強い責任感情を育てることを要求する。「真理に対して強い責任を持て」、というのが三つ目の《定言的命令》である。

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